~古民家・定年・集いの場~「やたいさんのコテツの部屋」

◆10年程前「私の夢:集いの場をどう作るか」というブログを行っていました。夢は達成されていませんが、これまで行ってきたことや、今後の取り組みなどを、時事的なものと絡めて記していきます。コ(古民家)テ(定年)ツ(集いの場)がキーワード。

◆死の痛みを「縁」につながる

今日の朝日新聞オピニオン欄に、「孤族の国」がテーマにされていた。
僧侶の中下大樹さんという方と、みずほ情報総研主席研究員の藤森克彦さん、
社会学者の上野千鶴子さんの3名が意見を寄せていた。

 仏教系ホスピスやボランティアの葬祭活動に関わっている僧侶の中下大樹さんは、
「死ぬ間際にはその人の生前の全てが見えてしまう」「企業というタテ社会で競争に
明け暮れてきた男性たちにはタメがない」「死から生をみつめて、社会を変えて
いかなければならない必要性に気付いた」という。
 これから多死の時代を迎え、社会全体が死と向き合わなければならない時代が来る。
「家族や親しい人が亡くなった時、その痛みを『縁』にしてつながることができないか。
ビジネスのように葬式を執り行うのではなく、宗教が人々の悩みや孤独、悲しみに
も言う一度寄り添うことができないだろうか、と考えている」「今後、かつての駆け込み寺
のように、人と人とをつなげていくような『講』『結』のような場をどう作るか。宗教者が
問われています」と答えを求めている。

よく言われることだが「どう死ぬかはどう生きるか」ということでもある。
普段の生活の中に、いかに「死」という避けては通れない大テーマを、自分の中で
位置づけ、それを分かち合うまたは導いてくれるか、この仕組みは、僧侶の中下さんが
述べているように、新しい形として必要となるであろう。
そのうち「どう死ぬか」をテーマにしたNPOも生まれてくると思う。
(もう既にあるかもしれないが・・・)
「コミュニティ・カフェ」でも、このような要素が振り掛けられても良いかもしれない。