~古民家・定年・集いの場~「やたいさんのコテツの部屋」

◆10年程前「私の夢:集いの場をどう作るか」というブログを行っていました。夢は達成されていませんが、これまで行ってきたことや、今後の取り組みなどを、時事的なものと絡めて記していきます。コ(古民家)テ(定年)ツ(集いの場)がキーワード。

◆『親が元気なうちに聞いておきたい50 のこと』

◆これは4年ほど前に読んだ本のタイトルである。
エンディングノート」「終活ノート」が流行りで、すっかり定着した感があるが、内容は同様の者である。
ただし、上記の内容は自分自身が、人生の最後へ向けてのこれからを考えたり、残された子ども達が困らないような遺言的な物である。
ここでは、主体は親本人。(60歳暗いからは自分自身かも)
◆この本は、子どもから親にインタビューする形で、「親が元気なうちに」とタイトルにあるのも好感が持てる。
私の母親のように米寿を迎えた親には、「エンディングノート」「終活ノート」=「死ぬこと」を意味するようで、遠ざけたい気持ちが付きまとうようだ。この本のタイトルは、その気持ちを逆手に取る軽妙さがある。
◆この本を読んで、直ぐに実践をすべく、50項目を書き出して、自分なりの書き込みノートを作った。
それが4年前。帰省し、実家に泊るようなことがあるときに、このノートを持ち出し、インタビューする。
子供の頃の思い出話や、親戚である母の兄弟姉妹・その配偶者、甥や姪、その子ども達までの話は、聞き出すと楽しそうに話は尽きない。
◆しかし、貯金や今後どうするかという話になると、抵抗感が強いようで、ある程度書き込んでいくと、次に進まなくなる。
大事なのは、このあたりでもあるのだけれど。
◆先日、しばらくぶりでこのノートを出したところ、「初めて見た・・」との言葉。
認知症とまでは思わないが、物忘れは年々進んでいるのは、同居の姉の言葉からも良く分かる。
とはいえ、「初めて見た・・」との言葉には、私も少なからずショックを受けた。
しっかり者で、ちゃきちゃきと働き者の母のイメージが強く、気持ちの奥底で、自分でできないことが増えてくることを拒否している気持ちが、都合の悪い記憶をオミットしているのではなかろうか?
◆「子ども達である私達の年代でも、このような事を書き留めておくことは、大事なことなんだよ」と伝えて、自宅から帰って来た。