~古民家・定年・集いの場~「やたいさんのコテツの部屋」

◆10年程前「私の夢:集いの場をどう作るか」というブログを行っていました。夢は達成されていませんが、これまで行ってきたことや、今後の取り組みなどを、時事的なものと絡めて記していきます。コ(古民家)テ(定年)ツ(集いの場)がキーワード。

◆戦場カメラマン

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戦場カメラマンの渡邉陽一さんといえば、独特のゆっくりした語り口で有名になった時の人である。


今日、テレビで津田大輔と渡邉陽一が語る番組を見た。
バラエティの番組に出ている彼と異なり、等身大の戦場カメラマンの彼が、とても印象に残った。

彼は19歳の時に、アフリカのピグミー族の実生活を見に、単身アフリカに行った時に見た、
フン族とナビ族の内紛(戦争)で、実は子供達が戦争の先端に立ち、一番の被害者になっている現実に
ショックを受けた。
「この現実を、何とか世界の人々に知らせることができないか・・」という気持ちが、彼の人生を
決めたという。
(その瞬間=翌年から、彼は戦地へ赴いていることに驚きを感じる!)

幼い頃からなじんでいたカメラで発信していくことを、その時から選んで20年余り、ずっと戦争
カメラマンとして、写真を撮り続けてきた。

彼が語る時、ゆっくりと一言一言発信する言葉とともに、自然とジェスチャーも交えながら伝えていく、
それが戦地では本当に自然で、1人の人間として現地の人々と向かい合ってきたことが良く理解できた。

彼を見ていると、小手先の技術ではなく、自分自身の感受性、行動、発信が一番大切であるという
ことがよくわかるのだ。

津田大輔の「自分で取った写真が、世界や社会を変えた実感はありますか?」という質問に、
まだ戦争中に、撮った写真を現地の人に見せると、その写真を見て泣いた。
しかし、戦争が終えて、その時の写真を届けると、その悲惨な写真を見て人々は笑ったという。
記録もそうだが、その事実を客観視できるのが、写真の力ということか。

最期に、渡邉陽一氏は、「異なる国、相手の日常を知ることが大事」と言っていた。

※写真は、全然関係ないけど、気仙沼で打ち上げられたまま、道を塞いでいた第十八共徳丸。