~古民家・定年・集いの場~「やたいさんのコテツの部屋」

◆10年程前「私の夢:集いの場をどう作るか」というブログを行っていました。夢は達成されていませんが、これまで行ってきたことや、今後の取り組みなどを、時事的なものと絡めて記していきます。コ(古民家)テ(定年)ツ(集いの場)がキーワード。

◆7月 2回目の震災ボランティアに参加

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金曜日から東松山震災ボランティアの会に参加して、2度目の東松島市へ行ってきた。
東松山震災ボランティアの会は、4月から定期的に東松島市児童養護施設支援の会と
連携し、今回で10回目のツアーになる。
民間の有志で立ち上げたボランティアチームで、これだけ継続的に支援を行なっている
グループは数少ないであろう。
前回の作業内容は、牛網地区での水に浸かった畑の藁&ヘドロの掻き出しだったが、
今回は、20人ほどが亡くなった現場でもある野蒜小学校での作業だった。

この野蒜地区は、200名以上の方が亡くなり、東松島でも被害が大きかった地区である。
この小学校は避難所にされており、3月11日の地震当日も体育館には地域の多くの方が
避難してきていた。
海岸からは1.5キロ程離れている、この学校の1階の部分まで津波はやってきた。

地震発生後、多くの付近住民が避難場所に指定されていた体育館を目指した。
しかし、たどり着いてほっとしたのもつかの間、真っ黒い濁流が「ゴォーー」という音を
立てて一瞬のうちに体育館を飲み込んだ。
水が来て、避難していた人は舞台の上に逃れ、そしてその上の周回の渡り廊下へ逃げる!
体育館の中で真っ黒な水と漂流物が渦巻き、逃げ遅れた人を次々と飲み込んでいった。
窓のカーテンを下にたらし、皆で上から引っ張り上げ、助かった人もいた。
しかし、力尽きて、目の前で亡くなった人もいた。

その後、野蒜地区で発見された遺体50~60体が、この体育館に運ばれたという。

一週間前にボランティアの手で作られた献花台に皆で手を合わせてから、今回の作業は
始まった。