~古民家・定年・集いの場~「やたいさんのコテツの部屋」

◆10年程前「私の夢:集いの場をどう作るか」というブログを行っていました。夢は達成されていませんが、これまで行ってきたことや、今後の取り組みなどを、時事的なものと絡めて記していきます。コ(古民家)テ(定年)ツ(集いの場)がキーワード。

◆東松山震災ボランティアの会 その3

さて、このボランティアツアーのオプションに被災地の様子を実際に見てくることがあった。

土曜日の朝は、東松島市の被害が大きかった大曲地区と野蒜地区を見てきた。
日曜日の朝は、東松島の隣に位置する、石巻と女川にバスで行ってもらった。
初日もバスで北上するに従い、高速道路の段差や、うねりを感じることが増えてきた。
また、水に使った地域は、まだ所々水が残っている所や瓦礫などが積まれている風景を
見ながら東松島できた。
しかし、海岸沿いで津波に襲われた地域は、完全に土台と瓦礫の死の街と化していた。
奇しくも土曜日の6月11日は、震災から丁度3ヶ月。何回も来ている方からすると、刻一刻と
瓦礫の撤去が進み、随分と片付いたとの事。
この一週間の間でも、街中に撤去しきれなかった自動車が溢れていたが、かなり片付いたとのこと。
また、一ヶ月前に見た人は、通りの脇などやや川なども瓦礫で埋まっていたのが、かなりきれいに
なってきたと、口々に言っていた。

津波で根こそぎ流されてしまった街、一階の部分ががらんどうになってしまった商店街、
床上まで浸水し汚水や土砂で家具が使えなくなってしまった家、また、線路や道一本隔てて、
水に使った所と浸からなかった所。
3ヶ月経って、被害が少なかった所から、生活は通常に戻りつつある。
しかし、全国で避難生活者10万人近く。住める家が残っているならまだしも、電気や水道などの
ライフラインがまだ復帰していないところも多い。
石巻市内ではまだ、信号機が点灯していない交差点がまだまだ沢山あった。

途中、東北自動車のサービスエリアには震災ボランティアのバスや、それらしき人達の車が沢山来ていた。
しかし、東松島の畑で活動しているボランティアは私達以外には会う事もなく、一日半30人で、
やっと1ヘクタール程の畑を片付けただけ。
ボランティアも全然足りないのだ。
被害にあった範囲が東日本太平洋岸500キロという広範囲にわたる。自衛隊やボランティア等が
杯って行ってない地域もまだあり、やはり復興にはかなり時間も人も掛かるだろうと感じられた。

頑張ろう東松島、頑張ろう石巻、頑張ろう女川、そして頑張ろう東日本